天才は深夜語りでつくられる。

the perfect world of prince.

"チーム"の話。

はじめまして、ぼくです。

今、ヴァイスシュヴァルツ界において"チーム"が一大ムーブメントとなっています。
そんな時代の流れに沿って、なんとなく「流行っているから」、「それっぽいから」という理由でチームに入りたい人や、同様の理由で流されるままチームに入った人は数多くいると思います。

しかしながら、人は何故"チーム"を作るのでしょうか。
そもそもプレイヤーにとって"チーム"とは必要なものなのでしょうか。
すべての行動には"意味"が存在しますし、"チームを作る"という行為にももちろん"意味"は存在します。

今回はこれについて考えてみたいと思います。


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"意味"を"メリット"ととらえた場合、ぼくが思いつくレベルでのチームを作る"メリット"は以下の通りです。


①自らに付加価値を付ける

②ショップ等のPR

③交流

④モチベーションの維持

⑤構築やプレイングの独占

⑥プレイヤーの寡占

⑦青春の謳歌

他にも思いつくものがあったら、教えて頂けると嬉しいんですけど、ぼくはこれだけしか思いつかなかったので、今回はこの7項目について語っていきたいと思います。


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まず、「①自らに付加価値を付ける」についてですが、これは文字通りです。
チームの名前を売ることでそれに所属するプレイヤーの価値を上げようという狙いで、ありていに言えば"売名"です。
ぼくもクラスのみんなにはナイショでこっそりとチームまがいのものを立ち上げているのですが、動機はもちろんこれでした。
以前は対戦前に相手のプレイヤーネームが公開されていたので、対戦がはじまる前から相手に"プレッシャー"を畳みかけ勝負を決めに行こうと考えたのです。
しかしながら悲しきかなチームのネームバリューがぼくらに追いつかずこの作戦は時間切れを迎えました。
そんな悲嘆に暮れていたぼくたちにも今回、巧妙の光が差しました。
なんとWGP2017岡山のネオスタンダードにて対戦相手のプレイヤーネームが再び公開されていたのです。
当初の目的が復活の兆しを迎え、ぼくのように売名欲と承認欲求に駆られたプレイヤーたちが今後ヴァイスシュヴァルツ界をチームで飽和に導いてくれることでしょう。
また某prosをはじめとした有名チームをチェックしに行く、所謂"ファンボ"もいるのかも知れません。
みんな負けてはいられませんね。

ちなみに話はそれるのですが、ぼくは地区大会の最たる目的を"交流"だと公式が謳うのであればプレイヤーネームは公開すべきだとずっと感じていました。
なので今回の岡山での対戦相手のプレイヤーネームの公開は"交流"の側面が大きかったのではないかというのが個人的な見解です。

 

次に「②ショップ等のPR」についてです。
これについては自分たちが盛り上げたいショップだったり、それに準ずるものだったりをチーム名にしてPRする形で寄与しようというものです。
また、最近流行りのYouTube等での活動を行う際のチャンネル名のPRもこれに当たるでしょう。
実際、自分たちが勝利を積み重ねることで名を馳せることができれば、自然と周囲の関心は必ずそれに向くためかなり効果的と言えそうです。

 

続いて「③交流」についてなのですが、これはチーム内での交流は勿論のこと、チーム外との交流にも影響を与えると考えられます。
①と若干話が被るのですが、チームについて耳にしたことがあるプレイヤー、特に所属しているチーム内のメンバーの知人との交流に際してはポジティブなイメージが先行しやすいため、何者にも所属していない場合と比較してかなりのアドバンテージがあると言えます。
友達に友達を紹介される、所謂「友達の友達は友達」とよく似た感覚ですね。
ただし、チームの名前の売れ方によって相手からのアプローチがかなり変わってくるのは勿論覚悟しなければなりません。

 

「④モチベーションの維持」については、1つの物事を成す場合、集団で物事に取り組んだ方がモチベーションは高まります。
また、ヴァイスシュヴァルツに関わる機会が増えると思いますのでモチベーションの維持はしやすいでしょう。
昔から言っているのですが、モチベーションは何のきっかけもなしに高まりません。
モチベーションが生まれたから行動するのではなく、行動をした結果モチベーションが生まれるのです。
このトリガーに接する機会がチームに所属することで必然的に増えるのため、モチベーションの維持が容易なのです。

 

「⑤構築やプレイングの独占」については、このヴァイスシュヴァルツというゲームにおいて、実際に行われているのかは分かりませんが、チームを組む以上可能であるという意味で記載しています。
もし今は無いにしても、もし今後環境を牽引するような強いチームが、チーム内でのみ調整を行い、最強のデッキと最強のプレイングを導き出し、それを秘匿することが出来れば、シーズン開幕から最高のスタートダッシュを切ることができるでしょう。
もちろんこのゲームの性質上、簡単なことではないんですけどね。

 

「⑥プレイヤーの寡占」については、トリオ等でのチーム戦時に、所属するメンバーにはチームを組む優先権が生まれやすいという意味で"寡占"という表現をしています。
所属するチームメンバーから「私と共に戦おう」と言われたら、やっぱり断り辛いんじゃないかと思います。
「憧れのあの人とトリオを組みたい!」
そんな内に秘めたる強い想いを抱えた時、一緒のチームに入っておけば、何者でもなかったあの頃よりも、その願いが成就する可能性ははるかに高まるでしょう。
なんたって、協調・共闘して共に歩むための"チーム"なのですからね。

 

最後に「⑦青春の謳歌」についてです。
これについては皆さんもお分かりでしょう。
仲間と共に一つの目標に向かって努力し、助け合いながらお互いを高めあい、切磋琢磨し、時を同じくする。
これを青春の謳歌と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょう。
「すごいことやりにきた!」

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そんなキラキラ輝いた欲求をヴァイスシュヴァルツで満たす方法、それが"チーム"なのかも知れません。


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メリットについてはこんな感じでしょう。

チームに所属しているみなさんや、所属したいみなさんはどれに当てはまりましたか。
「これとこれとこれとこれ!」といったように複数当てはまる人ももちろんいらっしゃると思います。

どれもとても魅力的で目移りしちゃいますよね。

これを見ると「すげぇ!チーム最高じゃん。今すぐ"チーム"作らなきゃ!」となりそうなところなのですが、チームを組むというのはメリットばかりではありません。
上に挙げたそれぞれの"メリット"は"デメリット"や"リスク"の裏返しです。

では具体的に"デメリット"や"リスク"とは何なのか考えてみましょう。


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「①自らに付加価値を付ける」については、まず思いつくのはチームに対しあまり良くない評判、所謂"悪評"が広まってしまった場合、その"悪評"がチームに属する自らにもついてくるということでしょう。
自分とは関係のない事で咎められてしまう、このリスクについては誰しも考えたことがあるのではないでしょうか。

しかしながら、逆に自らがチームの悪評を広めて迷惑を掛ける可能性について考えているプレイヤーは不思議なことにとても少なく思えます。
チームに所属するというのは一蓮托生、自らの行動が連帯責任になるということです。
何者でもなかったあの頃と比べて、不用意な言動を慎むなど、やらかさないよう慎重に行動する必要があり、自らの行動が制限されます。
家庭を持つと丸くなるような感覚で、もうあなただけの身体ではないのですから、自由なあの頃ではいられないのです。
どこかしらの"チーム"に所属しているみなさんはこのことをしっかりと自覚してますか。

また、チームのメンバーは新たにメンバーを迎える際、そのプレイヤーと信頼関係を築けるか思案しなければならないでしょう。

他には、「まだおれたち結果も何もないメンバーだけど、一緒に頑張って勝ちまくって有名になろうぜ」的なニュアンスでチームを立ち上げた際に、メンバーの一人だけが勝ちまくってチームが有名になった場合、その大量の勝利を上げたプレイヤーがチームとして有名になっていくことに耐えられるかというのもあると思います。
「なんだよ心が狭い」と普通は思ってしまうこの案件ですが、この鬼強プレイヤーが日々努力し研鑽を積んでいる一方で、他のメンバーが本番前にちょろっとだけやって大会だけ出るような状態から生まれた結果だとしたらどうでしょうか。
チームとしての目標が目標なだけに、思うところが出てきてもおかしくはないはずです。

また、既に自らにネームバリューがあったり、自らの力で勝利することのできるプレイヤーは本来、この目的ではチームに入る必要すらありません。

 

「②ショップ等のPR」と「③交流」については、①の"悪評"がついた場合と同じですね。
中でも②ではお世話になっているショップ等への寄与を目的としていた場合は目も当てられません。

 

「④モチベーションの維持」については、メリットの部分で物事には集団取り組んだ方がモチベーションが高まると書きました。
しかしながら、周囲に引っ張られて上がったモチベーションは、集団で取り組めなくなった際に、くるりと裏返ります。

自分はやる気だったとしてもチーム全体のモチベーションが低下し、自分ひとりになってしまった際に、その高いモチベーションを保つのは当然ながら非常に難くなります。

また、チーム内にやる気の低下したプレイヤーが少数でも現れると、全体の流れがそちらへ引っ張られる傾向があります。
この「モチベないアピール」を行うプレイヤーの中には本当はやる気のある人も多いと思いますが、真の意味でどうかなんて事はここでは関係ありません。
テスト前に「全然勉強してない」アピールするのと同じで、自分も「やってない」「やる気ない」アピールをした結果、流される勢がそれに引っ張られ、アピール勢も発言の手前率先してプレイできず、逆にヴァイスシュヴァルツに関わる機会が減少し、本当にモチベーションが低下するといった負の連鎖がはじまるのです。

正直、保険って本当に生産性のない行為なので、やる気があったり、やってるならちゃんとそう言った方がいいと思いますよ。

 

「⑤構築やプレイングの独占」については、生み出された最強のデッキと最強のプレイングはお披露目の日まで門外不出なわけですから隠し通さなければなりません。
日の目を見るその日まで限られた場所、限られた面子以外と対戦できないのです。
もちろん、妥協した内容のヴァイスシュヴァルツならばプレイできます。
しかしながらチーム内でしかベストのヴァイスシュヴァルツをプレイできないということはストレスでしょう。
また、調整相手が固まるということは、視野が狭くなってしまう危険性もあります。
"最強"を信じるが故にいいところばかりに目が行って欠点を見ようとしない、"最強"であるという強烈な思い込みがその力を疑う気持ちを端から捨てさせてしまう。
そんな可能性ももしかしたらあるのかも知れないのです。

 

「⑥プレイヤーの寡占」については、チームよってトリオの面子が固定化しやすいのが実は最も大きいリスクだと考えています。
固定化してしまった場合、実力やモチベーションに差が生まれた場合でも、「同じチームだから」「いつも組んでいるから」などといった生産性の薄い理由でチームを組んでチャンスを潰してしまいがちですし、後々ストレスと不満が漏れかねません。
トリオを組む際は、負けたとしても納得できる相手としか組むべきではありませんし、ましてや組んだ後にチームメイトに文句を垂れるなんてのは論外です。
ベストな相手とトリオを組む努力を怠った自分の責任なのですが、チームを組んでいると断りづらいものまた事実でしょう。

 

「⑦青春の謳歌」については、そもそもチームの皆と気が合うのかっていう話ですよ。
みなさんがどうかはわかりませんが、少なくともぼくは気の合わない面子で青春を謳歌なんてできると思えませんししようとも思いません。
また、エンジョイ勢とガチ勢が入り乱れてしまった日にはもう大変です。
どちらも楽しみ方のひとつとして否定できるものではない筈なのですが、両者が分かり合えることは決してなく、住み分けと不干渉が必須になります。
そんな水と油が混ざっている可能性のある世界に身を投じるのは正直リスキーでしょう。
また、人が増えれば増えるほど、青春を謳歌するための"一つの目標"がバラバラになりがちですし、このこれらのリスクを抑えるには入ろうと思っているチームについてよく"知"っておかなければなりません。
ここで取り上げたいのは「チームに入ると抜けにくい」というデメリットです。
ぶっぱで入って気が合わなかったら抜けるという行動が取りにくいが故、チームに入る際はそのチームのことをしっかり調べておく必要があるのです。

 
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長くなりましたが以上です。

ここまで"チーム"に対するメリットとデメリットをあげてきましたがいかがだったでしょうか。
もしかしたら、少々大げさだったのかもしれません。
しかし、どれも起こり得る可能性の一つであるということは確かですし、メリットばかりではないという事も確かです。

"チーム"が良い文化なのか悪い文化なのかというのはぼくにはわかりません。
周囲に迷惑をかけない限り、それはチームを組んだ本人たちが最終的に判断することだと思います。
ぼく個人の感想としては今の"チーム"という概念は話題性もあり、なかなか面白いと感じています。

ただ、今回、話にあげたように「チームに所属することが本当に自分にとって必要なことなのか」というのは一度考える必要があると思っています。

それぞれ、
「チームを立ち上げて何を成したいのか」
「チームに所属して何を成したいのか」
その目的をまずはっきりさせ、チーム側とプレイヤー側は互いが互いに相応しく信頼関係を築けるのか、齟齬がないのか、後に後悔しないように今一度しっかりと考えるべきでしょう。